主体的な死

確かにこの20〜30年だけをみても、私の身の回りに限らず社会的な意味での「生死感」は変化してい来ている事を感じます。生命が軽くなったと言う意味では決してなく、例えば80年代初期の私のセミナーハウスの書架に並んでいたエリザベス・キュブラー・ロスの「死ぬ瞬間」のシリーズをみて「ひらくのも怖い」という人たちが居たものですが、病気の告知や個々人の対処の仕方、そして家族の看取り方の問題など、現在のほうがずっとずっと自由度が増して来ていると事などをみても、須永一秀氏の著書「自死という生き方」の視点・論点も決して奇異ではないし、志村 建世さんのblog「自死という生き方」を読む(4)の以下の部分に私もたいへん共感します。
・・・<志村建世さんからの引用>いつ死んでもよい覚悟が人生を明るくすることを期待しているのであって、具体的には、終末医療に対する態度を、自らの意志で決めることを言っているのだと思います。それが自分の尊厳を守り、社会福祉にも貢献すると述べているのです。<中略>ここまで来ると、この本の現代的な意味の深さが見えてきます。自然死か、自殺を容認するか、という二分法では人生の終り方を分類できない時代になりました。その原因は、極限の近くにまで来た医療の進歩です。余計な医療は要らないという選択を、自殺と呼ぶことができるでしょうか。そこに「積極的な死の受容」という、人類史的な大きな問題が出てくるのです。そして著者が成し遂げようとした「哲学的事業」とは、日本人に生まれた哲学者として、最良の貢献を残したいという願いだったのではないでしょうか。<引用おわり>
さらに「哲学」について考えるなら、須永氏が著書「<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組み」
に自ら「「分析哲学」と呼ばれる領域に長年かかわっている研究者の一人」として「つまり、筆者は自分の専門領域が窒息して行く有り様を目の当たりにしてしまったわけです」(14~15p)と書かれているとおり、カタカムナ的に言えばまさに「イ」から「ミ」への転換を「極み」という表現で表しておられる事に私は亡夫の事を重ね合わせて非常に納得できたわけですが、同時に粂和彦さんのメモログにも共感を覚えます。
・・・<粂和彦さんからの引用>ぼくも一気に読んだのですが、なんというかあっけらかんとして、みもふたもない、というのは、こういうことを言うんでしょうね。この本と同時に届いた「現代思想」の3月号には、武藤香織さんが、ピンピンコロリのコロリばかりが強調されることを批判しているのですが、どちらにも共感する部分があるというのは、やはり一人称と三人称の違いなんでしょうか・・・つまり自分自身は、こうやってあっけらかんとして死んで行きたいけど、あなたにはそうして欲しくないし、知らない人から、そうしろなどとは、絶対言われたくない・・・<中略>いずれにせよ、面白い本でしたし、著者の意図に敬意を払った表現をすれば、著者の死を含めて、興味深い哲学的な実践だと思いました。ただし、彼の実践も哲学も普遍的なものではなく、否定する必要もなさそうです。実際、多くの人は彼のような思想は持たないし、彼のような「極み」には達しないのだろうと思います。<中略>いずれにせよ、最後に、こう叫びたくなりました。他の哲学者たちよ、もっとしっかりせんかい(笑)<引用おわり>
私も哲学者たちにはすべからく、工藤直子さんの「てつがくのライオン」などを読んでいただきたいものだなあなどと感じた次第ではありました。「イ」から「ミ」への転換とは「相似象」に宇野多美恵さんが「人間の大脳の過剰な発達は生物的な生命への逆序(順序の反対)であるので、イ(頭)の声よりもミ(生命)の声に耳を傾ける逆序のサトリが必要である」と書き続けていらした事ですが、楽観的に考えるならば最近の脳科学で「脳はいつでも変わる事ができる」と解明されてきている事からも「逆序のサトリ」をできる人間が増える事を期待できるかもしれません。
以上須永氏の「生き方」すなわち「死に方」の「主体性」については一切の異論はないのですが、でもそうであるが故になおの事、エリザベス・キュブラー・ロスに対する誤解については、須永氏にとってもロス氏にとってもいささか悲しいと感じたのです。もちろん須永氏は、母上の最期を看取るにあたってロス氏の「死の五段階説」を目の当たりにされた事も含めてロス氏の業績は大変に評価しておられるし、ご自身の説を「死の能動的ないし積極的受容の理論」の五段階説として際立たせるためにロス氏の五段階説を「死の受動的ないし消極的受容」と類型化されたのだという事を理解したとしてもです。
「誤解」と敢えて書いたのは「主体的な死」という事を書いておられる須永氏が「ロス氏はキリスト教者であり積極的自然死派であるゆえに主体的な死(この場合は自死)を選べなかった」と書いている部分を差します。なぜなら「自殺」ではない事のみが「主体的な死ではない」とは言い切れないという事が私の論点だからです。
少し話がずれますが、亡夫はやはりロス氏の偉業を尊敬はしていましたが「ボクの場合は五段階説はあてはまらないね」と言っていました。確かに夫も私もガンの告知を受けた時には「受容」から入ったという実感があるので理解はできますが、五段階は順番を追って現れるものでは決してなく、時には幾度も幾度もある段階を繰り返しながら昇華していくものであり、さらには告知を受けてから死に到るまでの限定された「期間」をいうのではなく、患者本人と周りの人々の段階のズレについてもロス氏は明確に言明しています。
つまり夫も潮の満ち引きのようにあの五段階はそれ以前の、私が「緩慢な自殺」と言った時期を含めて顕れており、私としても五段階説を学んでいた故に「どうしてそんな風に考えるの!」と叫び出さずに済んだ事もあります。そして夫とはその後も死についても多くを語り合い、できる限りの「彼らしさ」を聞き取ったつもりではありますが、あの頃の私の死生観が反映されすぎたかなという気持ちを完全に払拭することはできないし、また私自身については彼を亡くして半年から1年は、五段階説でいうなら「抑うつ」と呼ぶしかない内面状態にありました。周りからは一切そのように見えないようでしたし無理に明るく見せていた訳でもなく、仕事に支障をきたした訳でもありませんが(とは言っても十全に力を発揮していませんでした)、あの「力が内側から湧いてこない」状態は単なる疲労とは別質・別種のものでした。遺されるものに残るのも「喪失感」とは限らない訳です。
話を戻すと、「理解するよるもされること」や「主体的であること」や「他者の作った説は理解はするが自分はその説の範疇にないこと」を好むのはカタカムナ的に言えばサヌキの性であり、アワであっても男性にはその傾向がある事は理解できるのですが(これは私の偏見かもしれません。もし偏見だとしたらそうではない男性に出会ってみたいものです)、それをさておいても私にとってはロス氏の死は極めて「主体的な死」でした。
須永氏は「自死という生き方」の8章をすべてロス氏が「聖女」であるという前提で書いておられる理解のしかたなので「聖女の名に値する女性であった・・・聖女であり続ける事ができなくなっただけのこと・・・インチキ聖女だとか聖女の化けの皮がはがれたなどということにはならないと私は思う」とまで書かれていますが、ロス氏が聖女であろうとした事は実は一度もなく、自らの説に「失敗」したのでもなく、最期の在り方まで含めて極めてロス氏らしい主体的な死であったと知っている人も少なくないはずです。
須永氏の価値観である葉隠れの精神からみればロス氏の晩年はみるにしのびないのかもしれませんが、私は「晩年脳血栓に倒れ豹変してしまうのである」(193p)と書いておられる須永氏の見方がとても残念です(ちなみに須永氏が「幻滅して離れていってしまったファンも多かったようである」と書かれている晩年のビデオは、私にはとてもロス氏がキュートであり一貫した姿に観えました。それからコメンテーターに関する見方は須永氏に賛同します)。上述の引用文を書かれた志村氏も最期のロス氏に人間的な愛おしさを覚えると書かれていますが、私はさらに積極的な意味で彼女は豹変も失敗もしていないと言う事を書いておきたいと思います。そう考える根拠は、須永氏とロス氏とはまず専門(立脚点)が違うということ、そのために例えば「他者との関わり」という意味では、その質・量ともに圧倒的に違っていただろうという点がひとつ。そしてその事にも関わりますが、本人が死を受容していてもそうできない場合もあること(「死のまぎわ」まで、自分を受け入れて、自分と自分の現状を愛し、心静かに神に召されて行くという段階に達していなかった様子であった。195p」に対して)です。自死の否定ではないということは、私自身が中学生の頃「死ぬ時くらい自分で決められてもいいじゃん」と考えていた事。また、ロス氏の原点が「人は皆本来、自分の死ぬ時間を知っている」ということであったということ、それ故「医学的な不自然死」への疑問が根拠であったということを付記しておきたいと思います。
それから上記したことですが、主体的に生きるという意味がサヌキとアワでは(男性と女性ではと敢えて書きません)違っている(もちろんどちらも間違いではないのです)故に、サヌキからアワを理解する事の難しさです。ご自分の死に方として「葉隠れによる主体性=自死」を選ばれた須永氏なら、ロス氏の死もまた一貫した主体的な死である観えてもおかしくないのにと思うのですが、須永氏が「聖女」という前提を外し、ロス氏の人となりを知ってもなお失敗とよんだかどうか、もう尋ねてみる事ができません。さらにはもしもロス氏が「葉隠れ的な自死」を遂げたとしたら、世間にはどのような影響を与えていたでしょうねなどと話てみることもできません。
「主体的な死」という意味では須永氏は現代に大きな視点を投げかけて下さったと思いますし、私も80年代に言われた「そのうち死に方教室もやって下さいね」という事も考えないではありませんが、現在の私の視点から考えるなら、それは須永氏の言っておられる「仲間づくり」ではなく「身近な人たちと死生観を語り合える環境づくり」の伴走という事になるだろうと考えます。これは須永氏が家族に伝えていなかった事への批判ではありません。息子さんのあとがきを読んで須永家では須永家らしく受け入れておられる様子には感動しています。私自身の死に方?それは今は内緒です。
最後に昨日の朝日新聞の記事を紹介します。「100万回生きたねこ」などを書かれた佐野洋子さんへのインタビュー記事なのです。・・・<引用>前略「手をつなごうとして振り払われ、「二度と手をつながない」と決意したのが4歳の頃。(中略)<母さんは一生誰にも「ありがとう」と「ごめんんなさい」を云わない人>。それが、認知症の症状が現れて<ごめんなさいとありがとうのバケツ>をひっくり返したようになった。(中略)<私も行く。ありがとう。すぐ行くからね>。こんな言葉でエッセーは終わる。6月には70歳になる。がんが転移して医師から余命2年と言われ、それから1年が過ぎた。「私、ガンがストレスになってないのね。昔から死ぬ事がぜんぜん怖くない(中略)たぶん命って、自分のものじゃなくて、周りの人のためのものだと思う」(中略)これが格好よく、潔く、生きる秘密なのかもしれない。(インタビュアー/中村真理子)<引用おわり>
う〜ん。須永氏の事をちょっぴり羨ましく思いながらも佐野さんにも同感。タイムリーな記事でした。