メディアの特性

前回(4月28日)に書いたblog「30年前と同じ疑問」について、「とても分かりにくい」「何が言いたいのかよく分かりませんでした」という私信を数通いただいた。どうもすみません。(^^;
同時期に「NHKの番組『プロフェッショナル』で茂木さんが脳の働きについて明快な説明をしていた事が、澄さんのメールコーチングで明快になった事とぴったり一致してました」「NHKの『プロフェッショナル』で、茂木さんが『脳はただ考えている時よりも何か行動していたほうが脳は活性化されコントロールしやすい』ということを盛んに話していましたよ!これは『ミを動かして人間脳を鍛える』ということですね!」というメールも届いた(ミを動かして〜は、カタカムナ的表現です)。
分かりにくい、分かりやすいとは一体なんなのか?を考えていたら「ブログ」と「メールコーチング」とのメディア性の違いが明確になった。それはブログは「書き手が何か書きたい事があって書く事」でありメールコーチングは「相手(クライアント)の主体的主観に寄り添いつつ伴走すること」という単純なことなのだが、このテーマはまた前々回(4月13日)のblog「自死という生き方について」とも関連する。須原一秀氏の著書「自死という生き方」はアマゾン経由で入手し、電車に乗っている間の読書という時間の使い方をしながらまもなく読み終わろうとしているところだが、私にとってこの本は「死」を考えるというよりも、人間(個々人)の「思考」ならびに「自我」という事を考えるものとなった。自我とは何か?という事も含めてこれはblogでシリーズとして書いて行くには良いテーマだと思い、その宣言(自分に対する)のつもりで今日はこの事だけでもblogにあげておこうと思った次第だが、続くかどうかは未定である。