学校という管理

もう20年以上も前のこと、ある地方都市の1主婦の要望で、小学・中学・高校の子供を持つお母さんたちのワークショップを開いていた頃の話です。たしかテーマは「家庭の要であるお母さんのものの考え方」というような事だったと思います。ある日話題が「学校 vs 家庭」となった時のこと、皆それぞれに「自分が子供だった頃」と「自分の子供の現在の状況」の両方を考えながら、その違いや今何ができるかを考えるという提案すると、「昔の先生はしっかりしてた!」と言う発言。それに対して「それは貴女が子供だったからで、今の先生が頼りなく見えるのは貴女の方が年上だもん」という笑いを誘うような空気の中、それでは実際に昔の先生と現在の先生の「責任」や「権限」はどうなのかという話題も広がったのですが、印象的だった話の中に・・・「それほど昔どころか、この数年の学校の姿勢に空恐ろしいものを感じます。私の息子は高校3年ですが、この3年で学校の言う事がこう変わったんです。最初の年『もし街中で、うちの生徒が煙草を吸っているような所をみたらぜひ声をかけて注意してやって下さい』その次の年『もし町中で、うちの生徒が煙草を吸っていたら、注意をしないで学校に報告して下さい』今年になったら『もし高校生が街で煙草を吸っていたら、すぐ警察に連絡して下さい』なんですよー」
実際その3年の間に何がどう変わったのかは別として、彼女たちが憂いたのはやはり学校側が生徒達に歩み寄るのではなく、いかに「管理」するかという方向に向いているという事でした。それをきっかけにひとしきり学校に対する不満、先生のふがいなさの話題が噴出したのですが。。。
ひとしきりしたところでさっきとは別の女性が言い出しました「でもさ、私たちこのワークショップで面白かった事の中にどうしても気が合わない人付き合いをしなくちゃならない時、ちょっと冷静になって『どうしてその人はそういう考え方を持つようになったのかナー』と考えながらじっくり話を聞いてみると自分も自分の考え方に凝り固まってたってことが分かるっていうのがあったじゃない?学校の先生をこのワークショップに連れてくる事はできないの?」それに対して「それはさ、本当に生徒の事を考えてる先生が個人として参加するかもしれないけど、そしたら今度はその先生が学校で浮いちゃうわよ」「そうよねー学校側が設定する会合は私たちが白けちゃうしねー」
結局その日は個々人が「学校 vs 家庭」という考え方から「先生 and 親たち」が共に「子供を育てている側」である事をそれぞれ考えようという話になったのですが。
実際には問題提起の元となった高校は、次の学期に校長が変わった事で生徒にたいする対処も変わったと聞いていますが、いずれの時代にも「組織」側からの発想と「個人」側からの発想の根幹にある「構造とそれを形つくる人間の意識」について考えさせられます。