引用と比喩(metaphor)と類推(analogy)と

先日引用したメールマガジンの話には続きがあります。私はコーチングの中でも metaphor や analogy はかなり使いますが、過去の理論や他者の文章を引き合いに出す事は好きではありません。
ところがこの号にはたまたまマズローやダグラス・マクレガーの理論を挿入したために、次のようなメールを受け取りました。

澄さん、「マズローの欲求5段階説」について昔から思っているのですが、「生理的欲求」の次がどうして「安全の欲求」なのかわからないのです。「無秩序と不安定」も欲求の対象のようにも思うのですがね?

メールを下さったのはかなり古くからの知人ですし、私が「5段階説」や「X理論Y理論」を持ち出したのはコーチングという手段が「物事を新しい視点・観点で眺めてみること」や「状況をいつもとは違った角度から眺めてみること」であるという事を書きたいためであるのは十分読み取っていただけたと思うのですが、おかげさまで改めて、私がなぜ理論等を引用するのが嫌いなのかを思いだしました。
80年代の初期の社会的な潮流の中で、私たちもずいぶん業種・業態を超えたネットワークを結んだものです。それからどんどん盛んになった研修やセミナーの講師たちがその効用を「自己実現」に置いて「マズローの欲求5段階説」等々を我田引水に濫用している風潮が嫌いだったのですね。
そこで引用という言葉を改めて辞書でひいてみる・・・
引用=自分の説を有利に説明するために、古人のことばや他の文章、事例を引き合いにだすこと。

考えを自分の側や考え方に引きつけるために利用するのが他者の理論や認知された知識を引用することなのだとしたら、metaphor や analogy は「こういう方向から見てみたらどう?」とか「あなたはこの物語から何を新しくイメージする?」という働きになっているといえるでしょうね。もっとも metaphor や analogy を rhetoric として使うケースが無い訳でもありませんが。

さらにもうひとつ思い出したのは、やはり80年代に「マズローの欲求5段階説」が仲間達のあいだで話題になった時、私の印象はこれを引用している方々の風潮に「アメリカ型の自己主張をすべき」という印象があって乗れませんでした。さらに私はこの5段階で終わりじゃないと主張していたと思います。実はマズローは次の6段階目を持っていて、それは「コミュニティーへの欲求」なのだという説がありますが、それにもいまいち、うんうんとは乗れないのです。ただ私としては先人の知恵や知識や業績への尊敬とともに「自己実現とは何か?」とか「コミュニティーといった時に何を想定するか」などという問題提起に活用させていただけたらありがたい事です。マズローが6段階目を公表できなかったのは、その頃の社会風潮が「コミュニティー」と言っただけで「コミュニズム」そのものを想起させるからだったと聞いた事があります。
さて、上記のいただいたメールに私がどう返信したか。それはまた「別のものがたり」です。