「解釈」のためのソフトウェア

コーチングという方法が認知される昨今、米国から入って来る心理学的な理論もますます「外的なコントロール」から「内的なコントロール」が重要視されている傾向にあるようです。70〜80年代に流れ込んで来た「答えは自分の中にある」という精神活動の考え方が「自己啓発」とか「精神世界」へと傾倒していったという潮流とはまた別に、いわば「性善説」がビジネスの世界でも生かされる時代になったという表現もあります。そういう時代の動きをみるたびに、日本にはもともと「性善説」も「性悪説」も包含するものの見方、考え方があるのにな、と思います。ところがそういう考えを「解説」しようとすると、非常に偏狭な理論体系をドグマのように持ち出しているかのようにとられるのもまた一面の真実ですね。
ですから私はカタカムナ表記を解説するのではなく、具体的な事柄を解釈していくためにカタカムナを活用して行く事がこのblogでできることのひとつかもしれないと考えています。
以下は昨年末、私が発行しているメールマガジンコーチングを説明した時の記事に今回あらたに書き足したものです。

                                                    • -

❖結局コーチングってなに?                     

                                                    • -

マズローの欲求5段階説」はどなたでも知っていると思いますが、人間は誰もが本来持っている能力や可能性を最大限に発揮したいと望んでいるという説で、よくピラミッド型で描かれています。頂点が自己実現
        自己実現の欲求=創造的活動
         自我の欲求=自我・承認
         社会的欲求=所属・愛情
         安全の欲求=秩序・安定
         生理的欲求=食事・睡眠

カタカムナ的に言えば、この5段階を「サヌキ的」に解釈するか「アワ的」に解釈するかの違いがあります。
社会の成熟化に従って人間は下から順々に欲求を満たしてきた。だからその欲求の先にある自己実現に向けて邁進する事ができる、または邁進すべし・・・これがサヌキ型。
最上の自己実現は、下位の欲求が満たされた上に成立する。であるがゆえに最上の自己実現はできる限り全ての(身の回りから社会全般に到るまでの)欲求をも包含して達成したい・・・これがアワ型。
「発想の起点」が違うので、どちらが良い悪いではないのです。ただし、これまでの社会では、えてして「サヌキ原理」が率先して事を起こし、そのベクトルは必ずしも万人の幸せを目指していないどころか、身の回りや組織を巻き込んで作用し、サヌキ人間はやりっぱなし、アワ人間は後の対応に追われて新しいベクトルを作り出すいとまもなかった。。。という歴史があります。
また、アワ型の発想を上記しましたが、アワ型人間は「競争を疎んじて」いて、徒競走の順位を付けるこては悪い!などと主張する種族ではありません。こういう主張をするのは「アワ量の少ないサヌキ型人間」とみることができます。

私が考えるコーチングは2分説でもの事を解釈するのではなく、人間の多面性、多様性を前提として、その上でどういうキメの細かいアプローチができるかに目を向ける「ひとりびとりの人間が本来持っている資質に本人自身が目を向け、ふさわしい能力や可能性を最大限に発揮していく人生(個の確立)と人間関係(共生)をサポートする為の、画一的でない総括的なシステム」です。