忘れることの大切さ

さきほど家に帰る電車の中で今日こそblogに「忘れる事の大切さ」を書こうと思い到りました!
「忘れる事の大切さ」の意味は、暗記や記憶を手短な情報から取り出すことよりも、何かのきっかけで浮上してくる「忘れてしまった筈の事」は、時に発酵して芳醇な香りを放つという意味の事を書きたかったのです。
それで短いけれどもなかなか気にいったフレーズが頭にうかび、おし、短いけれど今日はこれでオーケーなんて思って家に帰り、お風呂に入ったらすっかりその表現は忘れてしまいました。うーーん、結局それはとってつけたような表現だったのかもしれませんね。でもこれだけでは今日のblogのおさまりがつかないので、この意味の重要な表現をしているミヒャエル・エンデの言葉を私のファイルから引っ張り出してきました!
『私が思うに、人間には驚嘆すべきふたつの現象があります。ひとつは<記憶>で、これについては誰もが語っている。<中略>もうひとつは<忘れる>という営みで、これは私は<記憶>以上に重要なことだと見ています。忘れる能力を持っている、ということは意味深い。いちど記憶したものが消え去ってくれる・・・それは何処へ行くと思いますか?無意識の中へですよ。それは私の人生の<全継続性の基礎>となります。ふとした機会に蘇る記憶もあるでしょうが、大抵のものは無意識の深みですっかり変形、変容し、それら膨大な意識化記憶の総和が、私に自分はひとつの人格だ、という感情を可能にしてくれます。そのように変容されたものは突然ファンタジーやアイデアやイメージになって私の目に前に顕れます。言い換えれば、忘れて変容した記憶が多ければ多いほど、人格が豊かになるということです。また、人間は過去を携えている分が多いだけ、未来をも大きく持っていることになります。意識的に記憶している過去に留まらず、すっかり忘却の底に沈んでいるであろう過去が、それぞれの人間の中で形を変えつつ未来に繁栄」していく・・・・・例えば私の本の中に出て来るものはすべて私が過去に、遠い遠い過去も含めて・・・・・・忘れたものなのです。』