相似象について

最近は「カタカムナ」とネット検索するだけで膨大なヒット数があります。
「アワ」や「サヌキ」を始め、カタカムナで表現されている事についてこのblogでも分かりやすく書いて欲しいというリクエストが元々あるのですが、やはりどのサイトを拝見しても、上手に言い(書き)表す事はとても難しいという印象を受けます。宇野多美恵さんが、あれだけの年月、命を削るようにして書き続けていらしてなお書き表せないと書いていらしたのですから、やはり私などが簡単に翻訳調に書く事ではなく、相似象の本をそれぞれの読み方なりに読んで立体的に把握する事が先達への敬意のように感じています。宇野さんがご指摘のとおり、読者の感受性・波動量による読み取り方という事でしょうか。「相似象」全巻は現在は杉並のほびっと村で入手する事ができるようです。
私は宇野多美恵さんの弟子ではなく、またカタカムナの研究者でもありませんが「相似象」の本とはかなり長いご縁があります(それはまた改めて)。生前の宇野さんとは新しい号ができる頃に電話を差し上げて、いつも自宅まで伺いました。カタカムナについてはまことしやかな逸話が沢山あって、そのひとつに「宇野さんは自分の心眼に叶わない者には絶対に本を渡さない(売らない)」というのがありましたが、ご本人の弁によれば「そんなことはないんですよ。もちろん単なる興味本位なのか真剣に取り組みたい方なのかは分かりますが、最初の一冊はお渡しします。でもやはりそれっきりという方も多いのです」とのこと。「少数者」と表現されている存在への誤解も含めて、巷ではそんな言われ方をしていたようです。
カタカムナについては様々な側面からの興味の視点があるようですが、私の取り組みはあくまでも「人間学」としての「カタカムナ」であり「相似象」です。自己の認識を深め、人間関係を見直すために大変に有効な知恵を伝える事のできるものなのです。
面白い事に、私の所ではライブ・セッションの折りにカタカムナの解釈を言葉で伝える事にしていますが、文字で表すのでは伝わらない事がちゃんと理解していただけているのが分かります。既成概念や先入感の見直しを含めて、その日からご本人の身近な方々への理解の仕方が深まったりするのは楽しい体験です。別に言霊を使う訳はなく、普通の現代語でお話しするのですが、やはり日本人のDNAにはカタカムナの遺伝子が組み込まれているという事なのかなぁと、いつも思います。決して難しい概念ではないのです。カタカムナは主観的にしか受け取れないから誤解されるという言い方をされる方もありますが、決して個人の主観に任されることではなく、客観的主観と主観的客観の狭間で理解されるように私には感じられます。本当は普遍的な主観と言いたいところですが、私たち現代人の感受性はそこまで精妙ではないかもしれません。
カタカムナ」というのは「カタカムナ文明」の時代に使われていたという表記文字なので、これを読み解いた(感受して表現した)電気物理技術研究家の楢崎皐月さんが使われる電気工学の用語で表すと分かりやすいというのも面白い事です。宇野多美恵さんの師である楢崎さんは「潜象物理」という観点からカタカムナを研究された方です。
そうそう大事な事ですが、カタカムナ文明というのは「人為的な神話」が作り出されるよりもずっと昔の日本にあった文明であるという事は(考古学的には証明されていませんが)忘れてはなりません。
少し舌足らずになりましたが、また折りに触れてカタカムナについては書いていきたいと思っています。