ちょっと自分に安心

父(85歳)も母(84歳)も、ありがたい事に認知症とは現在無縁の生活を保っていてくれるのだけれど、体力の弱まりとともに蓄積する不安はいかに大きかっただろうかと、同居してみて改めて感じるこの頃です。
昨年末に36年ぶりに実家に戻るまでは、東京だけでなくあちこちの地方都市にも住みましたが、いつも気になっていた事があります。それは「老齢化」=「必ず認知症」のように思い込んでいる人が少なくないのではないかということ。確かに年齢は危険因子のひとつかもしれないけれど、正常な老化過程でも起きる記憶の障害を、あんまりにも神経質に認知症と結びつけていないかという心配です。
どんな病気でもそうですが、発症するまでの期間を遅らせるアプローチを日常の中でもできないものかと、ある地方都市では両親や義父母が老齢を迎える世代の女性達と「認知症の姑や舅をちゃんと看取った嫁さん」も偉いけど「姑や舅を認知症にしなかった嫁さん」を目指したいですね、というような話をした事を思い出しています。働きざかりの男性にとっても家族の事は重大です。以前、研修やCI、それにセールス・プロモーション等をお引き受けしていた会社の経営者の方から、優秀なのに昇進に関心を示さなくなってしまった社員との対話セッション(コーチング)を頼まれた事があります。社長に言うことのできなかった彼の悩みは「親の認知症と介護の問題」だったのです。

昨今は若年性の認知症も注目を浴び、医師の体験や知識の不足のために早期発見が遅れている為に起きている問題という観点でNHKが時々取り上げていて、それはそれでとても重要だけれど、老齢化した方々をより認知症に追い込んでいるという実態も、本当はあるような気がします。
確かな脳の器質的障害が生じるまでの記憶障害や認知障害との境界は、とても微妙だと思います。93歳で亡くなった祖母は92歳まで毎日きちんと新聞を読み、きちんと会話が成り立つ生活でしたが、外で転んで骨折してしまい、起きられなくなって数ヶ月過ぎて以降に幻覚を視て叫び声を上げるようになった時、父が困り果てて私を呼んだ事があります。何日間か祖母の部屋に泊まり、お祖母ちゃんと幻覚を共有して症状は随分落ち着きましたが、その時はすで私だという事は認知してはいませんでした。誰だと思っていたのだろうな、壁を指差して声をあげるので、一緒にそれを視て話しかけると私の腕をさすりながら声や身体で何かを表現していたけれど。その後は殆ど眠ったままの状態と目覚めても認識が戻る事なく亡くなりましたが。。。だから怪我や他の病気だって引き金になる訳で、注意にこしたことはありません。

さあ両親が元気である為にはどんなアプローチができるでしょうか。考えつく限り実戦していきたいものです。
例えば父母にしてみても、半分本気で「認知症かぁ?」などと言っていたので「そんなの、ただの老化だよ〜」と返していますが、昔々だったら「ボケたか?」とか「耄碌したなあ」と言いながらも老齢者を見守る眼がもっと優しくできた環境も多々あったようにも思うのです。
同居して良かったことのひとつは、両親の気持ちが少し若返ったかなと思えることです。私以外の姉弟とその家族にとってはもう長い事「お祖父ちゃん」と「お祖母ちゃん」が通称です。母は初孫の頃には抵抗して「あーちゃん」と孫たちに呼ばせてきたけれど、その孫たちも成人して新しい家族を作り始めたらもう実の息子も娘も「おじいちゃん」「おばあちゃん」としか呼びません。
それが私は一貫してお父さん、お母さんの呼び方をしているものだから、最近はお互いの呼び方も「おじいちゃん」and「ばあさん」から「お父さん」and「お母さん」に変わりましたよ。恋人同士の時は名前を呼び合っていて家庭を作ると「お父さん」と「お母さん」になってしまうという「日本の家庭像」がありましたけど、この逆コースの場合、ちょっと微笑ましい気がします。

昨日はその成人した孫の家族が顔をみせにきてくれました。2歳になる子供連れで両親からはひ孫。久しぶりの小さな命に母は少し気持ちがはしゃいでしまったのか・・・ソファから何かをとろうと急に立ち上がって動いた瞬間!いつもはその場に無い荷物があったせいですが、母の身体がクルクルっと舞いました「あ、あ、あ、あ・・・」私にはスローモーションというか、コマ落としの映像を見ているようで・・・気がついたら腰が体重ごと床に落ちる寸前、私の両腕が母の脇の下を支えていました。母の体重で腕は沈みましたが、幸い床には落とさずに済みました。
「わぁぁぁあーー」みんなの安堵の雄叫びとともに母をソファに戻してひと安心。父も母を叱らないでくれてよかったー、母よりも恐かったような顔をしていましたが。後で私には「さっきは危なかったなぁーあれは舞い上がっちゃうんだからー」と安心のため息。
実家に戻る前の1年間在籍した学校では、校費で赤十字救急法救急員の講習を受けて認定をいただきましたが、母を受け止めたのはそのスキルとはちょっと別の力だったかな?

それで・・・今回はそんな自分にちょっと安心。