法則性について

Gさん「【悟り】【繋がり】【キャパ超え】の経験は僕の人生にもいくつかはありますが、数が少ない為、奇跡と感じてしまい、法則性を信じれるとは嘘になってしまいます。」

Gさん、私が思うには、「法則性」とは「信じる」のもではないのでは。ではなにか?そう「実感」するものであり「確信」するものではあるように思われます。先に「信じる」というと、なんとなく「すがる」というイメージがあって、それだと「努力逆転の法則」を起こしそう。奇跡はある意味「信じる」というか、「あたりまえ」と感じるもので、それがもちろん「確信」に繋がっていくものだと思いますが。「信じる」からそうなるのではなくて「実感」「達成感」が結果「信じる」=「あたりまえのできごと」になるんだと思います。
そして実践する力は各自に内在していますが他者との「相乗作用」は大きいです。これは「負」でも「正」でも大きいのですが、負と言うケースはイメージ化しやすいのに、良い事、というのは像の結び方が負より曖昧でしょ。それに人間て、良いことがあると用心しちゃうのね。「良いことばかりのはずはない」って。
たしかに「良いことばかり」ではない。でも、良いことというのは、そのぶん負のエネルギーにも体力、気力、創意工夫ができる力をつけてる事だって、考えることもできると思います。いい事だけにすがっていると「耐久力」が付きませんものね。
http://www.cos-com.com