「会話」と「対話」について

Sさん 私が常に言ったり書いたりしている「対話」について、「会話」とどう違うのかもう少し詳しく知りたいとの質問をありがとうございます。例えば外国語を身につける段階で「日常会話」はなんとかなるけれど、もっと突っ込んだ話ができるようになるには?という時期があると思いますが、それにはやはり語彙を増やすとか、言い回しを覚えると言う実践をすると思います。もちろ異文化の中に飛び込むとか、専門領域を修得すると言う道もさまざまです。。。
でも実は同じ言語を使っていても「日常的には困らない」会話から、「難しい語彙だらけ」で話している専門家同士とか、所属する社会背景が共通なので成立している例まで、似通った文化を背景にしてなんとなく通じていることが「会話」だとしたら、たとえ身近な人であったとしても、本人の培ってきた価値観や文化を背景に、考え方や意見の相違をわかり合おう、知りたいと思って対することが「対話」だといえるでしょうか。
「同じ釜のメシを喰った仲間」という懐かしい言葉がありますが、会話には確かに言わずもがなでわかると言う良さの反面、別種のものは排除すると言う傾向もあります。
自分の言ったことが通じないのは「相手の知識や認識不足」ではなく相手の「わかり方」の研究が自分には足りなかったかも?という態度で接することができたら、Sさんもご両親との「対話」が深まるのではないでしょうか。
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