続き。。。

法政大:坂本教授の研究室への訪問は総勢10名となり、さらに続きが発生して、坂本先生が群馬へ出張の折に、かみつけ岩坊(星野)さんの正林堂まで足を伸ばされるという顛末に。。。未来塾:山田さんのところへ坂本先生のゼミ生の方からのご連絡によれば、「普通の本屋さんではない」と感じられたとのこと。この夏からの「一冊の本がもたらした旅」は、年末にゼミ生と坂本先生が正林堂を訪れるという循環を迎えました。

hoshino wrote:

1冊の本が、ただ良かった、感動した、という感想にとどまらずに、本屋でありながらタダであげてでも、より多くの人に読んでもらいたいと感じさせた何かが、この本にはありました。それが何であるのかを、私は未だにうまく説明することが出来ません。1冊の本からこのような人の輪が広がった経験も、過去にはありませんでした。


澄です。
人間の意識の在り方を考えた時、私はシュタイナーが概念化してくれた「感情・思考・意志」の働きで見るのが好きなので、それで私なりに解釈してみますね。あまり規定したくないのですがこの場合、意志=判断、思考=方向性、感情=エネルギーと考えるとわかりやすいかもしれません。
そこでまず、私はこんな風に考えます。この本には意志が孕まれていた(この本は意志を宿していたでもいいです)と。
その意志の純度は、本に登場する経営者たちの意志であり坂本教授の意志であり、編集者の意志でもあり〜〜星野さんの意志・・・私の意志・・・山田さんの意志・・・熊野さんの意志〜〜〜その意志がそれぞれの感情と結びついて「この喜びを人に伝えたい!」というエネルギーになる。
そして思考は星野さん=「百冊タダであげると公表しよう!」→ 私=「この本は山田さんに渡そう」・・・思考が方向性だとするならば、ここからは自分のことに限定しますが、その時私は「山田さんに送ればより多くの方々への情報になるな」と同時に「いっぱい売れたらいいな」と思考し(考え)ます。それだけじゃないですが省きます。
そして瞬間「小さな思考」は「星野さんの売り上げに結びつくかしら?」と考えますが、すぐに「星野さんの意志の純度」を思い返して小さな思考を手放します(星野さんの意志もそのとおりでした(^^)。
「いっぱい売れたらいいな」と私が思考するのは、編集者をしていたという過去の体験に根ざすところ、それから「素晴らしい意志を持った人々やモノ」が、経済的にもないがしろにされて欲しくない、という気持ち(感情)も含まれています。。。。
もしもその時点で私が坂本教授を直接存じ上げていたら、山田さんに「この本はそれぞれが買って下さいと伝えて下さいね」と言おうか、一瞬考えたかもしれませんが、お会いしてなおの事「やはりその場合もその考えを手放した」と確信しています。編集者を知っていたら、出版社を知っていたら。。。やはり同じ事だったでしょう。(^^)
「純度」という言葉を使いましたが、これは直接経済を産まない事のほうが純粋だと言う意味では決してありません。
昔々、児童文学者の今江祥智さんから直接お聞きしたのですが、灰谷健次郎さんの処女作「兎の眼」を読んだ時「最初の10頁を読んで、この本は10人に贈ろう!と思った。半分まで読んで、これは50人に贈らなきゃ!と思った。そして読み終えた時に思ったんだ。これは何百人にでも、自分で買ってもらおう!と。」という素晴らしい話が大好きです。
私がこんな面倒くさい事を言っているのは、「日本でいちばん〜」の本を題材に「思考・意志.感情」の関連を「思考」してみることができるのではないかと考えたからです。
単純にいうと、この本の純度の高い意志によって、それぞれが小さな思考を手放し(意識、無意識に)、大きな思考に向かって喜びの感情を拓いて行った結果が、本来的な意味でのペイ・フォワードをもたらした。
自力であり他力でもあるという瞬間を結実していった、という言い方もできるかもしれません。
「思考・意志・感情」は様々な脈絡で入り乱れますから、時には感情のエネルギーが、時には思考の方向性が、判断力をねじ曲げもするし、善くも悪くも大きな力にすることもあります。ひとりの人間の中でもそうなのですから、大勢なら?・・?
私がヒューマン・ネットワークの中で大事にしたいな、と考えている事は、大きなつながりの中で「系譜」や「それぞれの文化」を大切にしながら自分のできる部分をきちんと担うこと。そしてそれぞれの基本理念や文化を理解しながら満足感を高めるつながりを編成していくこと。。。やはり私は思考が編集者+教育+コーチング系ですね。(^^; 好きな事を生業にできているという事にも、他力と自力の接点を常に感じます。来年はもう少し強力に推進して参りましょう。